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Saturday, March 28, 2009

Chakuriki Pancration

Chakuriki Pancration, RINGS HOLLAND

http://superkarate.ru/allnews/interview/thom_harinck

English translation is here.

チャクリキ

チャクリキ!世界で最も有名なキックボクシングジム。
ここでは多くのムエタイ王者、ヨーロッパチャンピオンならびに世界チャンピオンが排出されてきた。
ブランコ・シカティック、ピーター・アーツ、ギルバート・バレンティーニその他大勢。

世界中から集められた勝利のため秘訣が、トム・ハーリンクによって体系化された。
この手法は30年以上も否定されることなく活用されている。

トム・ハーリンク - 1983年 MTBN(オランダムエタイ連合)を創立、EMTA(ヨーロッパムエタイ連合)、1984年 WMTA(世界ムエタイ連合)、そして極真6段、拳法7段・・・。

タイ・ルンピニースタジアムで戦った最初のオランダ人でもある。

トム・ハーリンクはスポーツに”ファッション”としての影響力も与えた。
はじめて赤いサテンのトランクスを使用したのも彼だった。(後にキックボクシングの公式なスタイルになった。)

その手法

チャクリキの道場は(”道場”であり”スポーツクラブ”ではない)とてもシンプルだ。

リングのある小さな部屋、多くのサンドバッグ、グローブ、そして巻きワラがひとつ。
小さなフィットネスルームとロッカー。
バー(喫茶スペース)にはオランダのジムには似つかわしくない、いかつい男ではなく、笑顔の素敵な若い女性がいる。

(壁一面の)ポスター!私は30分もこれに見入ってしまった。
30年間のムエタイ・キックボクシングの全ての歴史を垣間見ることができる。
ルシア・ライカ、アーネスト・ホースト、ブランコ・シカティック、ギルバート・バレンタイン、ラモン・デッカー、フランク・ロブマン・・・。

ポスター、古いバッグ、そしてリング、生ける伝説の選手、来る者を歓迎してくれるメンバー。全てが素晴らしい雰囲気をかもし出していた。

トム・ハーリンク

スタイルがよく陽気でカッコイイ。
テクニックの実演は、動きがなめらかで美しい。
手を抜くことはないが決して傲慢ではない。

「私は一日中ジムにいるよ。君が来たいと思うならいつでも。
だが一番いいのは水曜の朝だね、人が少ないから。
水曜の11時においで、来たいなら。」

これだ、この語尾のフレーズ
「君が来たいなら(オランダ語:アルス ウー ヴィルト)」
私はさすがだな、と感じた。

オランダの年配のインテリというのはこういう言い方をするものだ。

たとえば、教え子に言うとき、「しっかりやれ」のようなことを言った後につける「君がしそうしたいなら」
それはその相手に対してのリスペクトの意味が含まれている。

トム・ハーリンクの尊敬の理念はどこにでも生かされている。
従業員に話すときも、選手を指導するときも。

その日は早々に退席しなければならなかったので、ホールで話をうかがった。そのとき音楽は流れていなかったのでICレコーダーでのインタビューにとっては良かった。
私はずっと、後ろを見ていた、ガラスの向こうでトレーニングにいそしむ若い選手達を。

インタビューが2時間ほどたって、私は彼に言わずにいられなかった。
「待てますよ」
そういうやいなや、彼は選手に稽古をつけるため、トレーニング室へ駆け込んだ。

レッスン終了後、彼は戻ってきて、私を待たせていたことを詫びた。

私は自分の年の2倍ほども年配の、しかも並々ならぬ尊敬を集めているような人が、私に対してそんなに丁寧に対応してくれることにかえって恐縮してしまった。


チャクリキ トレーニング風景

- そもそもの始まりは?

「私が6歳のとき、柔道をはじめて、12歳までやっていたんだ。
 茶帯までだったね、そのときは12歳で黒帯というのはなかったからね。
 
 それからサッカーを始めたんだ。もうそれは熱中してね。18歳までやったよ、その後軍隊に入隊したんだ。
 軍隊では戦車の操縦をやっていたよ。

 軍隊でボクシングに目覚めて、22歳までアマチュアで試合をしていたんだ。
 一度ポイントで負けたことがあったね。

 軍隊退役後、ジョン・ブルミンの極真空手を始めたんだ。
 黒帯トーナメントで、顔を殴ってしまって失格になってしまってね、

 そして気がついたんだ、空手は向いてないなって。
 そこで私は空手とボクシングを融合であるキックボクシングをやることに決めたんだ。」

-極真の6段でいらっしゃるのですよね?

「そうだよ」

- 何年くらトレーニングをされてたのですか?

「そんなに長くはないよ、”チャクリキ”を創立してから、たくさんの師範がやってきて帯をくれたんだ、尊敬の表現としてだろうね」

- ロシアではブルミン氏は大変尊敬されています、ですがその当時、彼は簡単に帯をくれたそうですね?

「そうなんだよ、あまりに簡単にね。
 たとえ空手をやってなくても帯をくれたね。

 私にとっては帯はたいして重要ではないんだよ。
 ”チャクリキ”には帯はない、大切なのは試合のレベルなんだ。

 見ただろう?たくさんの帯が私のオフィスにあるのを、
 柔術、拳法、カンフー、人々はお土産がわりに帯をくれるんだよ。
 私がその競技をやってたという理由ではなくね。

 私がやっていて、愛しているのは”チャクリキ”であり、帯というのは何の意味もないんだよ。

 1972年に私は選手の指導をはじめた、そしてすぐに彼らはトーナメントで勝つようになったんだ。」

- 当時のトーナメントというのはそれほどハイレベルではなかったと思うのですが、たくさんのジムが参加していましたか?

「そうだね、我々は外国で試合をすることが多かったね、ドイツやイタリア、そのほかいろいろと・・・
 テコンドーのトーナメントだったり、拳法だったり、少林寺拳法だったり、、
 我々はそのたびに、いろいろなスタイルでトーナメントを戦ったよ。

 その頃、すごく効果的なことがあったね。赤いギ(道衣)を着たことで。」

- 有名な赤いギですね、今までにも見たことがあります、赤いギを着た選手を。
バダ・ハリがアムステルダムで試合をしたときも赤いギを着ていましたね。
彼はあなたのチームに所属していたんですか?

「そうだ、7年間私が指導したよ。そして55試合して51勝をあげた。イグナショフに負けてしまったこともあったな。」

- それは彼がまだ若かったからでは?

「バダはそのとき18歳だった、みんな”バダはイグナショフと試合なんてできるのか?”と聞いてきたよ
 私は言ってやったね、『できるに決まっているだろう』と
 そして、バダは良く戦ったよ。
 最初は良かったんだよ、だけど後で疲れてしまったね。」

- それでその後は?

「取り巻きが彼に車をあげたり、お金をあげたりするようになったんだ。
 そしてジムを去ってしまったよ。」

- バダが去ってしまって、どうお感じになりましたか?

「ずっと彼を息子のように思っていたよ、でも去って行ってしまった。
 本当にショックだったよ。
 選手を失ったからじゃない、本当に父親のつもりで接していたんだ。

それまで何の問題もなく、ケンカもしたことはなかったんだ。
 だが、金持ち連中がバダにお金を渡すようになって、たったそれだけで彼は去っていってしまった。
 裏切られたね。」

- 彼は去った理由を説明しなかったのですか?

「いや、そのことについて話したことはないよ。
 それきりどこで会っても、バダは私と目を合わせることはないんだ。」

- それで、あなたは今、バダが試合するとき、勝利を願っていますか?

「私の気持ちは変わっていないよ、彼の試合は二度と見ないよ。がっかりさせられたから。」

- ピーター(アーツ)の姿を見ましたが・・・

「ああ、10年間指導してきたが、彼も私の元を去ったね。
 だが彼は帰ってきたんだ。そして自分が間違っていたと私に言った。

 私は彼が戻ってきてくれて本当にうれしいよ。

 ピーターが去ったとき、彼はただ「もうアムステルダムには来ない」とだけ言ったんだ。
 私は「わかった、問題ない」と答えた。

 チャクリキはいつだって新しいチャンピオンを作り出せるからね。
 一人が去っても、他が入ってくる。

 今はヘスディー(ヘスディー・ヘルヘス)がいる。

 4年前、ジムに入門してきたときは、彼は何にも知らなかった。
 しかし今やヨーロッパチャンピオンだ。非常に、非常に良い選手だよ。」

- あなたにとって最高の選手はだれでしたか?

「フェザー級、57キロのテキム・ドネチだね。
 彼は世界チャンピオンで、長期間それを維持していた。
 
 彼が入門してきたとき、6歳のトルコ人少年だった。
 彼が28歳になるまで指導したんだが、コカインでだめになってしまった・・・。」

- それで今、彼は?

「今はもう本当にだめだ、中毒で救いようがない、路上生活をしているよ。
 だが彼は本当に最高の選手だった。タイで試合したんだ。
 私は本当に多くの選手を育ててきたが、彼こそが最高だった。」

- ではヘビー級では?

「ヘスディーだ。彼が私が今まで育てた選手の中で最高の選手になるだろう。」

- それから、シカティック、ブランコ・シカティックは?

「彼はとにかくすごかった。
 選手はみんな何か素晴らしいものを持っているんだが、ブランコの場合は特別だった。

 彼は52歳の今でもグッド・シェイプだよ。まだスポーツをやっている。
 今クロアチアで警備会社と2つのスポーツクラブを経営しているよ。

 結婚式にも出席したさ、私たちは家族のようなものだからね。

 ブランコは本当に素晴らしい男だ。
 彼がK-1で優勝したのは38歳のとき、そう今のピーター(アーツ)と同じ年さ。」

- 私は前回ピーターが負けたのがすごくショックだったのですが・・・

「そうだね、あれはだめだったね、、だめだった。」

- 何が悪かったのでしょう?年齢でしょうか?

「いや、年齢のせいではないね。トレーニングの方法が悪かったんだろう。
 ゆっくりしたペースだし、モチベーションも低かった。

 ヤン・プラスは警察とのトラブルで忙しかったんだね。
 それにピーターと心でつながってなかったんだ。

 そういったことが全部作用して、悪い結果を招いてしまったんだ。

 ピーターはもっと早く戻ってきたかったみたいなんだけどね、ためらっていたみたいなんだ。
 どんな顔で私に会えばいいかわからなかったんだよ。

 だけど私は昔のことは水に流してるからね。」

- ピーターはK-1に返り咲けると思いますか?

「それこそが今目指していることだよ!しかしもちろん、どんなことも断言するのは難しい
 まだ戻ってきて2ヶ月しかトレーニングしていないからね。

 ピーターに聞いてみればいい、すでに50%以上のコンディションになってるだろう。
 だが私は100%の仕上がりを期待している。

 ヘスディーやブラドック(アンデルソン”ブラドック”シルバ)と一緒にトレーニングしているよ。
 フォームは改善されているが、もう少し時間がほしいところだ。
 ピーターにはぜひまたK-1で勝ってほしい。」

- 昨日、あなたの写真を妻に見せながら話したんですよね。
「私が生まれた年、この方は既に3回ヨーロッパチャンピオンになってるんだよ」と。

「ハハハ、君は1975年生まれなのかい。私は年寄りコーチの一人だけど、まだまだ現役だよ。
 多くのコーチはもう引退してるけどね。
 ヨハン・ボスや、ヤン・プラスももうほとんど教えていないし、他にも、たくさんのコーチがやめてしまったね。

- あなたは今もグッドシェイプですよね。

「そうだよ、完璧だろう?
 65歳だが、キックも強くて早いんだ、ジムの若いものには負けんよ。
 毎日トレーニングをしているんだ、今朝も8時半からね、もう今日のトレーニングは済ませたよ。」

- トム、あなたは異なったルールにもお詳しいですよね、ですがなぜムエタイを教えていらっしゃるのですか?空手や他の競技ではだめなんですか?

「そうだねぇ、、私はムエタイが好きなんだね。
 一度日本で、ロイド(ヴァン・ダム)がロシアの極真空手チャンピオンとの試合に招かれたことがあったんだよ。」

- レチ・クレバノフですね?

「そうだ、ロイドには2ヶ月準備させたよ。
 あれはすごい試合だった!ほとんど同格だったね。

 3ラウンドにロイドがクレバノフの顔を2回殴ってしまったんだよ。わざとじゃないと思うが。
 それでも私はドローだったと思うんだがね、ジャッジはロシア人につけたね。

 クレバノフはロイドが今まで戦ってきた選手の中で一番強いと言っていたよ。
 彼は誠実で、とてもいい人間だったね。

 ロイドが反則したのもあるし、ロイドは極真ファイターじゃないから仕方ないね。
 たった1試合のことだけど、しかしとにかく、私はムエタイが好きなんだよ。」

- K-1については・・・

「K-1は好きじゃないね。」

- なぜですか?

「私は5分3ラウンドが好きなんだよ。それこそが選手の真価と根性を発揮できるからだ。
 3ラウンドの試合なら誰でも出来る。
 最初、1992年の頃は、K-1は5分3ラウンドだった。
 
しかし日本人はオランダ人があまりにも強すぎるということを知ってしまったんだ。
 日本人は1~2ラウンドはすごくいいんだよ、しかしその後疲れてしまってノックアウトされてしまうんだ。

 そして日本人は言ったんだ「ねぇ、ルールを変えようぜ、3ラウンドにしようぜ」と
 たとえトーナメントの最中でもね。私は受け入れたがね。
 
 その後、トーナメントの3試合すべてが3ラウンドになった。
 私は個人的に、5ラウンドで試合するのが好きだけどね。」

-ですが、時にムエタイはクリンチのしすぎではないですか?

「いいや、クリンチになれば止めればいいだけのことだ。
 しかしクリンチはいいんだよ、それは素晴らしい、良いテクニックだ。
 ただそれをうまく使いこなせる選手はほとんど居ないのが現実だ。

 タイの試合でクリンチを見てごらん、ものすごくエキサイティングだから。
 見事な膝蹴りとヒジでね。

 とはいえ私も、クリンチというものがどういうものか他の場所では理解されていないということもわかっている。
 だからキックボクシングの試合でクリンチになったら、止めるべきだね。」

- あなたは数ヶ月タイに滞在されてたんですよね?

「そうだ、1978年にタイに招かれてね。
 その時我々はヨーロッパ一のチームだったんだよ。

 しかしタイでは全く予測だにしてなかったんことが起こったんだよ。

 私はそれまでムエタイなんて知らなかったし、全く見たこともなかったんだ。
 だが現地で何人かのタイ人選手のトレーニングを見て、
 「これは勝てっこない!」と確信したよ。

 たとえそれがわかって、それに対応しようと思ったって遅すぎた。
 完膚なきまでに叩きのめされたよ。
 1ラウンド、2ラウンド、3ラウンド、試合ごと全てノックアウトされた。
 全員KO負けだ、ひどいもんだったよ!

 その後、選手達は帰国したが私はタイに滞在した。
 私はタイでもベスト3といわれている各ジムで、本当のムエタイのテクニックというものを学んだ。
 そして帰国してそれを選手たちに教えはじめたんだ。

 それから私は今まで学んできた全ての要素を集めたんだ。
 ボクシング、ムエタイ、キックボクシング、空手そしてその当時出来上がっていたチャクリキ!私のスタイルもね。」

-チャクリキはこの10年、スタイルが変わりましたか?

「いや、変わっていないよ。もちろんこの年月で学んだこともたくさんあるけどね。
 人は27歳から30歳までの間には、全てのことを学んだと思うだろう。
 しかし、大人になればなるほど、たくさんのことを知るものだ。

 65歳になった今もなお、新しいことを学んでいるよ。
 より良いコンビネーションとかね。
 それは人生経験の一つだと思うんだ。

 アメリカの有名なボクシングトレーナーは老人だった。
 マイク・タイソンや、モハメド・アリや、シュガー・レイ・レナードのコーチは73歳とか75歳とかだったね。

 そしてそのコーチが心臓発作で亡くなった後、タイソン、アリ、レナードは若いコーチについて練習し始めたけど、キャリアはその後下降してしまった。

 今の私にはそれがなぜかわかるんだ。
 それ以前はいつも、70歳の老人がセコンドについて一体何をアドバイスできるんだ?と思っていたんだが、年齢は関係ないんだ。
 
 当たり前のことなんだ。選手たちは”その”老トレーナーを必要としていたんだ。
 そしてそれこそが100%彼らを成功に導く方法だったんだ。

 K-1グランプリ決勝戦の8名のうち、5名がオランダ出身者だ。
 私はなぜかわからなかった、オランダ人はそれほど積極的ではないのに。

 しかしその理由はこれだ、コーチ間のライバル争いが激しいんだよ。
 トム・ハーリンク、ヤン・プラス、ヨハン・ボスのね。
 我々がこの競技をこんなにハイレベルにしたんだ。そして選手が成長した。
 まるでアヤックスとフェイエルノード(サッカー)のせめぎあいのようにね。

 私はヤン・プラスに勝ちたかったし、ヤン・プラスも私に勝ちたかった。
 そのため我々は常に選手に厳しいトレーニングを課してきたんだ。

 現在、オランダではキックボクシングは人気スポーツとなった。
 アメリカでは総合格闘技だね。

 しかし人々は良いコーチがついたからといって、いいキックボクサーになれるとは限らないだろうと思っている。
 私がアムステルダムで指導しているから、強い人材がいるアムステルダムだから強いんだと人は言うんだ。
 ユトレヒトやロッテルダムには選手がいないからと。

 しかし私がユトレヒトでジムをオープンさせれば、ユトレヒトからオランダチャンピオンは生まれるはずだ。
 選手がどこに住んでいるかなんて関係ないんだ、オランダ人だろうと、ロシア、ベルギーだろうと。
 コーチが良ければ、必ず選手も良くなるんだよ。

 だって考えても見てごらん、こんなオランダという狭い国にこんなに良い選手がいっぱいいるんだ。
 アムステルダムの人間だから強いなんて決め付けちゃいけないよ、それは真実じゃない。

 私がもし、ロシアの小さな町でジムを開いたら、ロシア人は強いんだなと人は言うようになるよ。

 私は何度もロシアのモスクワを訪れたことがある。
 ロシアの選手も一生懸命練習をしているのを知っているよ、
 しかし、しっかりとしたトレーニングシステムがないからどうしていいかわからないんだ。

 コーチが良い選手を作るんだよ。」

- 現在現役の選手の中で、興味を持っている選手はいますか?

「タイロン・スポーンだね、昨日ちょうど彼から電話がきたんだ。
 ここ(チャクリキ)で練習したいってね、スパーリングパートナーに困っているそうなんだ。

 ウチにはたくさんいい選手が揃ってるからね。来てもいいよと言ったよ。

 K-1にはあまりいい選手がいないね。
 K-1が意図的に支配しすぎるという側面があるからじゃないかな。
 いい選手の多くはもうK-1で試合してないよね。

 オランダの”イッツ・ショウタイム”というトーナメントでも同じようなことが起こっている。
 システムのせいだね。」

- しかしあなたの選手はそこで試合をしてますよね、主催者と知り合いだからですか?

「違うね、彼らは我々を無視することができないだけだ。
 しかしウチの選手が試合をすることを拒むことがよくある。

 たとえば、バス・ブーンがいるだろ、彼に言ったんだ
 『なぁバス、ヘスディーと(グーカン)サキの試合と、ブラドックと(エロール)ジマーマンの試合を組んでくれよ』と、

 だが彼は同意しなかった、なぜなら自分たちに利益がある試合だとは思えなかったからだね。
 そういうことが起こるのは不運なことだ。」

- えーと、もし誰か本当にいい選手がいたら、その選手はトーナメントに出られるのでしょうか?

「場合によりね、もし本当に、本当に本当にいい選手だったら、主催者は無視することはできない。
 もし選手が勝って、人々がそれを知れば、チャンスを得ることができ、主催者たちは選手と契約するだろう。

 しかし言わせてもらうと、もし選手が本当に強くて、トップであったとしても、
 そのオランダ人より強くない多くの日本人選手が、
比べ物にならないくらい高額のファイトマネーと社会的地位を、日本では得ているのも事実だ。

 日本のリングもオランダのリングも同じリングに違いないのだが、
 日本ではテレビでもインターネットでも、多くの人々が何が起こっているかということに興味をもって見ているからね。
 日本ではビッグビジネスで、だからこそ日本人選手はビッグネームになっている。

 オランダやルーマニアでも良い選手の参加するトーナメントは度々ある。
 先週の”RINGS”も非常にハイレベルだった、しかし報道はされなかった。

 だれもそれを変えようとしない、テレビ局と契約したりその他のことを。
 いや、たとえしようとしても、テレビ局は契約してくれないんだ、すでにK-1と契約してしまっているから。

 皆K-1が最高のスポーツだと思っているからね。
 だがフジテレビで中継されているK-1は全て意図されているものだ。

- ところで、私はこのジムの料金表を見て驚いたのですが。
普通オランダでは、1年契約とかになっていて、退会する3ヶ月前に言わないといけないとか、いろいろ手続きがあるのに、ここはすごく自由な条件ですね?料金も安いし・・・

「そうだね、もちろんいろんな経費は必要だけれども、
 コーチや従業員への給料とか、家賃とか、オランダの税金ももちろん払わないといけないし。

 しかし、誰かがジムをやめたいと言うのなら、そういった契約上の問題を作らないようにしているんだ。
 どんなことでも長期契約をしないということはとてもシンプルだよ。

 約300人の子供がいるが、子供は1ヶ月、週3回のレッスンで18ユーロ、これはすごく安いよね。
 また、プロ選手からの利益を得ることだってしたいよ。それは当然のことだよね。

 だがそんなにたくさんはいらないんだ。
 私にとってお金は大きな問題ではない。

 私の妻はとてもいい仕事をしていてね、彼女は弁護士で、大学の教師でもある。だからお金に困ってはいないんだ。」

- そろそろ12時ですね、時間では?

「そうだな、行かなければ。いつでも来たいときに来なさい。一緒にトレーニングすることだって出来るよ。
 私の本をバー(喫茶)に渡しておくから、帰るときは持って行きなさい。」

(日本語訳:KK)

原文(ロシア語)はこちら
http://superkarate.ru/allnews/interview/thom_harinck