ドージョーチャクリキ創設者、世界でも最も有名な格闘技トレーナー。
人々からは日本語の『Sensei(先生)』と呼ばれる。
日本ではトム・ハーリックとも発音され、歴代のK-1王者を育てあげたことでその名があがる。
トム、ハーリンクは1943年12月22日、オランダ・ハーグにて生をうけた。
少年時代は柔道・サッカー・陸上など、数多くのスポーツに親しんだ。
17歳の時に家をでて、クルーザーの船員となり、世界中の格闘技に出会った。
兵役の時はAMX型戦車のドライバーを務めた。
その頃、ボクシングを始めることになる。
除隊後はいくつかの職を経たが、心には常に格闘技を追い求める気持ちがあった。
やがてトムはスタント集団『チーム6』を結成、カースタント・乗馬・ダイビングと、そして格闘アクションを行った。
格闘技の修行の旅は続き、南アフリカではサバット(フランスが起源の格闘技)、台湾で中国拳法、タイではムエタイ、そして日本で空手を学んだ。
その他にも、武術、古流柔術、棒術などの師範免許を取得し、少林寺拳法七段、極真空手は六段となる。
1972年、トムは自分が学んできた数多くの格闘技の長所を組み合わせ、最強の格闘技を作り出すため、『ドージョーチャクリキ』をオランダのファンホールに創設する。
その後、数え切れないほどのチャンピオンファイターを育て上げ、名実ともに世界一のトレーナーの名前をほしいままにする。
1995年7月8日、ピーターアーツがK-1で優勝するその年に、25才年下の法律家、マリヤン・オルファルと結婚。
1997年3月1日、チャクリキの創立25周年の年に、娘ジェーンが誕生。
1999年5月7日、ノブ・ハヤシがK-1ジャパングランプリで鮮烈逆輸入デビューするその年に、二人目の娘シャルロット誕生。
そして2001年11月5日、待望の男の子トビアスが誕生する。トム・ハーリンク58歳であった。
2003年、パンクラチオン・チャクリキ設立。9歳で柔道を始めてからトムの格闘技人生ちょうど50周年でもあり、盛大にパーティが行われた。
2004年、ノブ・ハヤシにチャクリキ免許皆伝を与え、トムの長年の夢でもあったチャクリキの日本支部がオープン。
トム・ハーリンク
Thomas Richard Harinck
ドージョーチャクリキ創設者であり発明者
Gladiators BV(グラディエイターズ有限会社)代表
NKBB(Dutch Kickboxing Association:オランダキックボクシング協会)協同創設者
MTBN (Dutch Muay Thai Association:オランダムエタイ協会)会長
WMTA (World Muay Thai Association:世界ムエタイ協会)会長
EMTA (European Muay Thai Association:ヨーロッパムエタイ協会)会長
ドイツ・ボンの反テロリストグループ『Hundertmannschaft』の指導者
オランダ警察特殊部隊のいくつかの部署の指導者
IMTA (International Muay Thai Association:国際ムエタイ協会)初の非アジア人協会員、議長
IMF (International Muay Thai Federation:国際ムエタイ連合)ヨーロッパ支部長
WMTC (World Muay Thai Council:世界ムエタイ委員会) 副議長
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